昭和49年08月30日 朝の御理解



 御理解 第20節
 「此方が天地金乃神よりおかげを受けておることを話にして聞かすのぞ。疑うて聞かぬ者は是非におよばず。かわいいものじゃ。また時を待っておかげを受けるがよし。めいめいに子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらぬ。言うことを聞かぬ子は、親もしかたがあるまいが。」

 今日は私が天地金乃神様より、金光大神のお徳金光大神のお取次ぎによって、頂いておる事を、聞いて頂こうと思う。これは最近頂いておる事を、これはもう私のもの私だけのものと思うておったけれども。今日のこの御理解二十節が、ね。天地金乃神様から頂かれた事を話にして聞かすのぞと、教祖が仰られる様に私は天地金乃神様直接ではない、ね。金光大神のお徳、お取次ぎという働きのおかげで、天地金乃神様と今私が直接交流しておるという事です。
 だから天地金乃神様から私が頂いておる事を、今日は話にして聞かせるのです。大体ここの御理解は大体みんなそうであります。ね。ですから本当に私の言う事を、そげなこつがあるじゃろうかと言うて、疑うて聞かなかったらもう仕方がないです。ね。そこん所をね。疑うて聞かぬ者は、是非に及ばずとこう言うてある。可愛いものじゃまた時を待ってとこう仰るけれども。
 私の場合はもうここの時が待たれない時に来ておるのだと。だから繰り返し繰り返しどうでも皆さんに、私が天地金の神様より受けておるおかげをまたはお話を、ね。本当に信じて聞いて下さらなければならないとこう思うのです。もう後から時節を待ってから、もうここで私の話を聞いて下さる限り、是だけは信じて欲しい信じて聞いて欲しい。そして信じてその事を行じて頂きたいと、私は念願しながら今日の話を聞いて頂く。
 昨日は菊栄会の方達が、この前の月次祭の時でした。私がこの頃しきりにあのすき焼きが食べたい。しかも砂糖の効いたすき焼きが食べたいと、私がちょっとまぁ冗談のように話しましたのを、文男さんと高橋さんが聞いておりましてから。そんなら今度すき焼き会をやりましょうとこう。もう話がいっぺんに燃えてしまって、まぁ昨日まぁ本当に火をぐるぐる焚いて、すき焼きをこの夏の暑い時にですよ。しかも暑さも感じず、汗も上着を着たままでです。そらもう冷房が効いてますからね。
 中でどんどん焚いてますけれども、冷房が効いてますから本当に有難い事だなぁと言うて。けどもまぁ甘いすき焼きのですから、何かここへ酢の物か何かを、私が家内に作らせるように、何かよかたい何かこうと、言いよりましたけれどもすぐ思いなおして、いや待て待てこれは神様が下さるに違いはないから、やっぱ、作らんでええぞと言うて、結局すき焼きだけでした。丁度すき焼き会が、始まろうとする。
 丁度五時頃でしたか。杉さんそれから竹内つぁん、それからもう一人三人の方が、先日からお取次ぎを頂いて、壱岐に行っておられました。それで壱岐のそれこそもう、生き生きとした、あの雲丹とかまたはもう、珍しい見た事もないような、素晴しい貝を沢山、お土産に持って来て下さった。もうそれをレモン酢で頂くいわゆる、酢の物をねこれを頂いたら美味しいなと私が思うたから、それを全部焼かせましてね。レモン酢で食べたら、私は今までこんな美味しい貝を食べた事がない。
 もうとにかくあの貝柱の大きいのが、あれが軟いんですあれが。あれは硬いでしょう、ちょっとね。あれがとにかく何ち言う貝でしょうか。こんなお皿のようなのに入ってる貝なんです。蓋がこう付いてね、紫の蓋が付いて。そらもう見事です。それをじゃがにこう持ってきましたがね。それを私が菊栄会の方達に申しました。こらまぁだ菊栄会も、そのね。この頃菊栄会も、あんまり評判が良くない。けれどもまぁだこれは、見捨てたもんじゃなかばいねと言うて、言うた事でした。
 あんた達が思い立った。思い立った事に神様がこのようにして言うならば、それに協力してくださる。勿論それは親先生が、甘いすき焼きを食べたい。そんならすき焼き会をやりましょう。もうとにかくそのそういう意味においてね。やっぱ菊栄会の方達は、優れていると思うです。それで電話を架けたから、みんな集まってきた。(?)さんが一人来ませんでした。ね。そのすき焼き会の中でです。
 私が菊栄会の方達に言うんですよ。まぁ言うならば、あんた方は親先生のまぁ取り巻きだと、みんなが言うくらいに言うなら、親先生の信用を受けておる人達。言うならばまぁなんと申しましょうかね。キリストで言うならば、とんおの聖人がおられますね十人の。何とかと言うまぁ十人衆とは言いますまいけれども、何とかと言う言葉で表現しておられますね。これは誰が何をするでも、矢張りその人の手になり足になりとするようなものがなからなければ、大きなことは出来はしません。
 そういう意味でです。ほんなら私の言うならば取り巻きと言われるくらいな、おかげを頂いておるのだからあんた方にだけは、信じて聞いて欲しい事があるんだと言うて、私が神様から最近、私が頂くことの少しばかりを聞いて貰ったんです。ね。先日から小倉の桂先生を初め、吉木先生石橋先生、それから甘木の初代。それこそ大徳を受けられた先生方ばかり。これは私の手続き関係であると同時に、隣接教会でもある訳ですね。甘木などは手続きじゃありませんけれども、やはり桂先生のお弟子さんであります。
 そういう先生方がみんな私の所へ集まって、あの合楽示現活動に参画するという署名捺印をなさる所を頂いたんです。もうこの事なんか大変な事だよと。今合楽で言われておる、示現活動と言う事の内容を、まちっと本気であんたどんが分からせて頂いて、しかもそんならそういう大きな働きの中にある。先日なんかはね。それこそ私は中堅と、あのキリスト様が所謂、天国におられる訳でしょう。
 キリスト教で言うなら。その天国から下りて見えて、そして私と出会いの言うなら、場を設けられて、席をいわば一席設けられたわけです。そしてもう懇々と、私にご依頼になったことがあるんですよ。ね。(?)これも合楽示現活動という事にです、これはお釈迦様も同じです。ね。私の前に膝まづかれるという訳ではないですけれどもです。ね。言うならば地を低うして、言うならば大坪さんお願いしますよ。本当に全教一心全教一家となって、今の地球上の難儀を救わなければならない。
 そういう切羽詰った時期に立ち至っておるのだからと言う、まぁ人間言葉で言うとです。こういう様な事がもう繰り返し繰り返し、話し合いがあったんです。昨日控えである方達のお取次ぎをさせて頂いておる時に、もう一生懸命に、その示現活動です。初めての方もおられましたから、一生懸命お話させて頂いた。そして私の裏に、この四五日前からかかっておる軸が、かかっておりますのが、これは何代前かの京都の南禅寺という、有名なお寺がありますね。南禅寺のいうなら宗匠と言うでしょうか、ね。
 和尚様が書かれた軸なんです。絵とそれにさんまで書いてある。いわゆる自画自賛であります。下に布袋和尚が書いてあります。大きな布袋さんが大きな袋にこう寄りかかって団扇をこう持っておる絵です。そしてその上になんと書いてあるかと言うとね。天上においては弥勒菩薩と書いてある。天上においていろんな働きをなさることはもう弥勒菩薩を上にする者はいないと。これは仏教に書いてある。ね。
 それから人間界、人間の世界においては、布袋和尚だと書いてあります。その布袋和尚と言うあの軸を頂いた時の、これは御理解なんですけれども、ね。天上では弥勒菩薩。今の地上では大坪総一郎が、地上ではもう一番。いうならば素晴しいという意味の御理解を頂いたんです。だからこんな話ですから幾ら、天地の神様から頂いたってです。そげなこつがあるじゃろうか。まぁだ偉か人がおりなさるくさいというふうな、思い方をしたらもういけないんですよやはり。
 だから私がほんなら言うだけではなくてです。その実証的なものが私の場合は必ず、あると言う事です。ね。そこん所は天地金乃神様から、頂いた事ではないから申しませんけれどもです。ね。一例を言うともう二十まだ、三橋先生がおられる時分でしたから、ある手相見の方がです。ちょうど福岡へ参りましてちょっと電車を待つ時間があったからつれづれにあちらを、西鉄の周囲を私と秋永先生と、三橋先生と三人で回りよった。はぁ手相見まぁ冷やかし半分で、その見てもらおうかと言う事でした。
 私の人相と私の手をこう、見上げ見下ろしてから、こんな人相を見た事がないと言いました。あなたはあの、ここんところこんな厚い本をこう、ここん所からこっからこれまでを読んで下さいと、何十ページかある所を、これがあなたの事が、全部書いてありますと。ね。貴方の家にはね、もう八百万の神々様が集っておられますと言われた。ね。そして、秋永先生にいやぁ、これは本当素晴しいなぁと、次に思ったことは、ちょうど秋永先生が、前の奥さんとのトラブル時代があった時代でした。
 ご夫婦の仲にトラブルがありますなと言うのです。久留米の三橋先生の場合なんかは、あなたは今ちょうど、ね。あの、大変な財産家の長男に生まれたんですけれども、橋の下にでもおらねばならないような運命になってますよと。此の方はあなたのお友達ですか。此の方が言われる通りしておれば、ここに道が開けますよと言うてました。ね。ある方が私の人相を見て、この額口とその下に線があるのを見て、いやぁこの先生の相は、天地を貫く相だと言いました。
 秋山さんが北野の産婆さんの、大変生命学に凝ってもう何百人と産ませなはった。それが全部自分が名前をつけなきゃ出来ん。ところが秋山さんあんた方だけは、椛目の時代でしたから、椛目の金光様から名前を頂くち言うが、大体椛目の金光様の先生は、あの何ち言う人のち言うちから言わっしゃった。で大坪総一郎と書いて見せた。それを字画を引いたところがね、もうそれこそたまがってしまった。それを書き写して秋山さんが来ておられます。それを書いたものを、高橋さんが確か持っておられます。
 それにはね、もうそれこそ最高のことだけではなくて、この姓はね代々に広がっていく、お徳が残っていく姓名だと。まぁこれは、天地金乃神様じゃない。人間が言うた事ですから、まぁそういう意味に例なら幾らもあるんです。ね。今日私はその天地金乃神様から頂いたこと。先日私は御夢を頂いた。その御夢の中に、もうそれこそ難行とも知れないような、石をこう城のような、こげな風な実は台ですね。真っ直ぐい石です。それを私が平気で登っておる。登れるはずはないのにです。
 そのこう立派な石がこうやってしてあるけども、ここの後ろのほうには、手がちょうどこうやって、もって行けれる位にあるんです。足をまたかける所があるんです。私はだから、楽にこうやって、登って行っておる所を頂いた。そうしましたらね。丁度お芝居で、あの壷坂霊験記と言うのがありましょう。あの霊験記の扮装をしたお里と沢市がです。私がもう愈々上がろうとしたらね、私の手をとっ、こう引き揚げてくれようとする様子を見せました。けども私はもう上がってますから、自分で上がりました。
 そしたらその沢市さんが、そのりんきをする。私に手をとってくれようとしたから。その悋気しておるのがです。どう言う事かと言うと、も、嬉しゅうして嬉しゅうして応えんという様な感じで、まぁそ、りんきであるばってん、そ素晴しいと言うて自分を先に行く、お里もその後を着いて行くという、そこに上がらせて頂いたんです。そしたらもうそれは、まぁ言うならあの、神階とでも申しましょうか。
 素晴しいいわゆる御寝殿造りのお家があって、素晴しいお広前があって、それから素晴しい客殿があって、その客殿の素晴しさなんか、もう口やら言葉で尽くされないような所でした。これからが暫くここに、私が住む所になったかも知れません。ね。そしてそのいわゆる、壷坂霊験記と言う事は、どう言う事かと言うとですね。いわゆる霊験と言う事は、今の合楽の奇跡が起こっておるという意味が現れておるのです。
 それからそのお里が私の手を引いて、上に上げようとしただけで、その沢市さんがあの悋気をしたような風だけれども、それはもう嬉しゅうして嬉しゅうして応えんと言う事は、どう言う事かと言うと。それこそ合楽が今日までおかげを頂いて、人がどんどん助かってくれば来るほど、それは周囲にですね、色んなもうそれこそ、あれは間違っておるとか、ね。あれは大坪さんはなかなか、商売人だから宣伝がうまいとか。もうあらゆる、悪口雑言を聞いてきましたね。
 所が私がもう一段上の、ここん所に行かせて頂いたらです。言うならメクラさんという事はどういう事かと。二三日前頂いた、心眼を開いてない人です。ね。まぁ目が心眼がつぶれておる人です。言うならば本当のことが分からない人達がです、とやこう言うておったけれども、その悋気しておるようだけれどもです。もうそれは心の中で嬉しゅうして嬉しゅうして応えんと言うような感じと言う事は。最近もう何軒の教会の先生方がです、ね。言うならばですよ教会だけに限りません。先生方には限りません。ね。
 普通の人でもはぁこの頃、お父さんがちっとばっかり、その文句言うたから威張ってあるといったような言い方をしておった人達までがですよ。メクラだからね肉眼をおいて心眼を開けと仰るのに、その心眼を開いてない所謂メクラさんだから。そういうふうな悋気的なね。言うならばなんと申しましょうか。人がね家が蔵建てると、隣の人が腹立てると言ったような事なんです。けれどももうここまで上がらせて頂いたらです。それを皆が祝福して下さってあると言う事です。
 山の春の教会の先生が、言うならば合楽、合楽と言うて見える。○○教会のご信者さん方が、お参りをして見えれば、先生やら若先生やらが、本当におたくで教えを頂いて信者達が、本当に熱心に信心になりましたと言うて、御礼を言われる。言うならばです。少しはほんなら、合楽がどんどんおかげを頂いていく、と言う事はです、ね。りんき心も起ころうか。いうならば人間誰しも、そういう心を持っておるけれども、もうここまで行った時にはです。
 もう誰も彼もが言うならば、いままで白眼視しておったり、または羨ましいとねたみ心を持っておった人達までもです。もう合楽が、もう手が届かない所になったらです。もうそれを神様の為に、言うならば難儀な氏子のために、一つどんどん合楽で助かってもらわにゃならん。その事の段取りが出来て行く事を、祝福するという意味なんです。いうならば、私が今信心とは、わが心が神に向こうのを信心と言うのじゃと仰るがです。神様へ向って一段一段、いうなら次元が違ってきた。ね。
 言うならば今までの次元とは、もっと変わった次元の世界に、私が住む事になったと言う事なんです。先日私は、ある大きなそれこそ、何億という金額の私の一言でそれが不意になるかならないかという様なお取次ぎをさせて貰った。そん時に私がふっとこれがもし間違ったら、それをちょっとこう思ったんです。そしたら御神願にね、あの歌舞伎十八番の勧進帳と言うのがありましょう。勧進帳のあの弁慶が、あの白紙のあれを読む所がございましょう。安宅関です。
 勿論皆さんもご承知のように、あれは白紙ですね。それをこうやって持っておる弁慶が、私なんです。そしてそのこのほほを、あれは勧進帳を読まずに、後ろのほうばこうやって、私があの、後ろのほうに気をとられておるところの、あのお知らせを頂いた。そしたら神様が間髪を入れずにね。前のほうだけを見れ、前進のほうだけ見れと頂いた。不安に思うた天地金の神が、バックだから後ろを振り向く事は要らんと。
 不安がる事は要らん。もうただ前進前進ただお前はもう、今白紙だいうならばそこの所を自力から他力という風に申しておりましょう。もう私の力じゃない。もう神様のおかげで助かるんだという白紙のこれにね、前を向いて行けばこの難関の関所は越すことが出来るんだ。後ろには神が着いておるぞと。着いておられるけれども、果たして着いておられるだろうかと、こう私が不安に思うて後ろを振り向いたら、途端にそんな事を頂きました。今私の後ろに天地金乃神様のね。
 いわば力いうならば腰を抱いてござる。いや天地金乃神様とてもです。私を利用なさらなければ、もうどうにも出来ない所に行っておられるという事です。お釈迦様でもキリスト様でもです。何千年間という間に沢山な教えを説かれたけれども。その教えがもう枯れておるような状態で、人を助けると言った様な奇跡を起すと言う様な働きは、もうなくなっておると言う事です。
 だから、その御釈迦様だって、キリスト様だって、私のような示現活動、合楽で行われておる示現活動に参画なさらなければです。折角の仏教信者、キリスト教信者もね。言うならばあわやと言うところにあるという意味なんです。皆さんこれを皆さんがね。信じられるか信じられないかで、おかげが決まるのです。親先生てんでもうそれこそ、小野先生じゃないばってん。もういよいよ、親先生はちっと間違いござるばい。ね。と言うような頂き方を、ね。
 誇大妄想教じゃなかじゃろうかと。例えばいう様な思い方ではなくて、真実ほんなら合楽でね。今日まで二十五年間の間ね。沈黙に沈黙を守ってきて、二十五年目に、もう言うならば地球の危機状態にある。寒天危地。または歓天喜地ね。神様が喜んでくださり、氏子も喜ぶような世界を、神様の願いとしておられたのにも関わらず、何千年たっても、世の中は言うなら争いから争い。難儀な病気から病気の苦しみ。
 先日私は七年間も、病院に入院しておられる方の、薬毒と言うことを、頂いて頂いた御理解がですね。薬の毒という事について下さるのにね。あぜ黒に虫は出来んと仰った。あぜくろあぜ道のことです。ところが畑やら田んぼやらには、虫が出来るのはどういう訳か。言うならば化学肥料をやったり、言うならばね。薬を撒いたりするからです。もうその薬でも効かん。この肥料でも効かんち言うごたる風になってしまって、愈々田んぼの中と言うものは、痩せ細っていきよるのです。
 本当言うたら、そのあぜくろには、薬は撒かんけれども、ほんなら雑草はそれこそ、生き生きとして踏まれても、言うならばねじられても、ね。薬一つ撒かんでもあぁ言う自然の働きと言うものを、人間の上にも頂けれるんだという事。そういう事がです。例えば医学万能、科学万能でやってきて、ほんなら今になって、言うならば人間が、もう手を上げなければならないような状態になってるという事実をね。いわゆる自然に帰る自然に、言うならばね。溶け込む生き方にならせて頂けれる。
 昨日私は、そこの布袋さんの所の、軸の掛かっておるところで、そんな話をさせて頂きよりましたら、二行に渡って書いてあるんです。天上においては弥勒菩薩、地上においては布袋菩薩。そしてその次の字が、みんな学生の方に聞くけど分からん。そしたら最後の所に、どういう事が書いてあるかと、六つの神獣六神と書いてある。それを、昨日頂くんです。ね。寝る頃これは二三日前、まぁ沢山大黒様が、あちらの十四体ですか、小さいとが。中に大きな布袋さんが、あの日田の山奥から、持って来た人がある。
 まぁ大黒さんで良かなら、布袋さんでも良かくさと言う事じゃろうからね。そげなもんでいくもんかいと、私が言いました。そしたらねすぐ神様が、その私が裏で浴衣がけに着ておるところを頂いた。人間と言うものはやはり、ほんなら私がお広前に座って、紋付袴着けておる時が大黒様ならです。いうならば、裏で、浴衣がけで、それこそ、テレビども見ておる時の姿と言うものは、布袋和尚だという風に言われる。と。
 頂いたからほんなら、ちょいとそのものは、どかさんのち言いよったばってんから、まぁちょいとよかよか、ほんなら、あのしとかんの温めさせて貰おうと言うて、そらもう見事な布袋さん。だから私の半分なんですやっぱり。それがほんなら、隆盛と言うことは、あのどういう事かと言うとね。どういうわけに、その合楽にですね。その布袋和尚、いわゆる、六つの神様は足ろうておられるのにも関わらずです。ね。
 一つ足りない、七福に一つ足りない。合楽に来れば大黒様があるから、二つと言うお知らせを頂いた。だから七福の徳と言うのが、もうこれは完璧な徳という事なんです。ね。後で見て下さい。六つの神という事が書いてある。その六つの神に、大黒さんが一つ入った時に、それが七つの神、いわゆる七福神という事になるのです。七福神と言うのは、人間の幸せのもう(?)を、いわゆる、感じておられるという意味が、七福という事です。そういう事も改めて、昨日私は頂いてです。ね。
 また実をいうと、私と天地の親神様との間に交流しておるお話は、皆さんにお話しても分からない、難しいことですけれども。まぁ今日のお話を聞いて頂いて、分かって頂いたか、どうか知らんけれどもですね。この方が天地金乃神様より、おかげを受けておる事を、話にして聞かすのぞという事を、今日は私が金光大神のお取次ぎによって、天地金乃神様と直通して天地金乃神様が、私に教えて下さった事をもう普通では、こんな話は出来ようとも思えないけれども。
 今日の御理解がたまたま、こういう所でしたから、今日はあえて聞いて頂いたんです。ですからほんならこれをです。皆さんがね。昨日ここで、菊栄会に申しましたように、あんた達だけは信じてくれよと申しましたように、合楽の全体の方にです、ね。この事を信じて貰わなければです。もう信心なら仕方がない。時節を待っておかげを受けたが良いと言う、もう間じゃない今は。ね。言うなら、寒天危地である。ね。いわゆる寒い天に、危ない地という状態にある時であるから、どうでも皆さんに。
 私は繰り返し繰り返し、このことは皆さんに聞いて貰わなければならない、信じて貰わなければならない。そしてそれを行の上に現して貰わなければならない。ね。ほんなら行の上に現すという事は、どういう事かと言うと。いわゆる合楽示現活動に参画させてもらうという願いを、本気で持たせて頂いてです。ね。天地金乃神様いうなら直前のお話である。ね。皆さんが、聞いて下さるのですから、それをまたいうならば皆さんの周辺、縁のある人達、縁に任せてです。
 この事を広げていくと言う事が、最近頂く交流の世界であります。光の輪と言うのが、広がりに広がっていくという、そういう運動が合楽示現活動にという事になります。ね。言うことを聞かぬ子は、親でも仕方があるまいがと。けれども言うことを聞かぬ子にはね。痛い思いをしてでも、今分からせなければならないという時期なのです。昨日一昨日から、私も子供達が、自動車二台(?)一泊でどっか熊本から、こうあちらを回ってくると言うのです。私はあの子供達が
  (少しの間、聞き取れない)
 そして昨日あの葡萄狩りのほうへやらせて、みんな(?)そして昨日の朝、またここへお参りしてきてから、今日は泊りがけじゃない。こうやっていくとこう言う。今日も私は、幹三郎と直子に、そのことを話したことでしたけれどね。あんた達の信心が出来たらすぐでも、お許しが頂きたいけれどね。あんた達は信心が日頃出来ておらんから(?)ね。そして(?)電話が架かってきた。どっか小国の辺の辺りまで行って、交通事故を起しておるからと言うのです。
 いわゆるバスと接触してる。それでとうとう行かれんなり、その事で色んな問題警察からきて、色々(?)それでとうとう日田の綾部さんに電話を架けた。それで綾部さんが小国の地理の詳しい方を連れて、そしてその
   (聞きとり難い、内容が繋がらなくなりました)